『自然法爾章』現代語訳の試み(4)

  *6 この道理をこころえつるのちには、
  この自然のことはつねにさたすべきにはあらざるなり。
  つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、
  なお義のあるになるべし。
  これは仏智の不思議にてあるなり。


  愚禿親鸞八十六歳

  *7 正嘉二歳戊午十二月日、善法坊僧都御坊、三条とみのこうじの御坊にて、
  聖人にあいまいらせてのききがき。そのとき顕智これをかくなり

  (末燈鈔・第五通)

 救いの働きである弥陀仏のお誓いがすでにわたしにかけられている。法爾に自然に働くという道理の道筋がのみ込めたら、あとは弥陀仏のお誓いを信じるばかりです。汝を救うというお約束なのだから、われらには信じてお任せする一事しかない。それが「義なきを義とす」ということです。信じて念仏するだけで仏になる。こんな不思議なことはありません。それで仏智の不思議と申し上げます。愚禿親鸞八十六歳。

 この文書は、正嘉二(1258)年十二月十四日、親鸞聖人の御歳八十六歳のおり、関東から上京した弟子の顕智が、善法坊僧都御坊、三条富小路の坊にて、いくつかの疑問点についてお尋ねし、それについてのお答えを、顕智が聞き書きしたものです。(全休訳)

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-12-07 06:13 | 御消息集のこころ | Comments(0)