『自然法爾章』現代語訳の試み(2)

  *2 自然というは、自はおのずからという。
  行者のはからいにあらず、しからしむるということばなり。
  然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、
  如来のちかいにてあるがゆえに。

  *3 法爾というは、この如来のおんちかいなるがゆえに、
  しからしむるを法爾という。
  法爾はこのおんちかいなりけるゆえに、
  すべて行者のはからいのなきをもって、
  この法のとくのゆえにしからしむというなり。
  すべて、人のはじめてはからわざるなり。
  このゆえに、他力には義なきを義とすとしるべしとなり。

  (末燈鈔・第五通)

 自然法爾ということ。まず、自然について。自然の自は自ずからという意味の言葉です。わたしの意志に関係なく、あちら側から働いてくるお力がある。自ずからとはそういう意味が含まれている。次に、自然の然もまた、自ずからそうなるという意味の言葉で、自ずからそうなるというのは、こちら側、わたしの意志ではなく、あちら側、つまり如来のお誓いだから、自ずからそうなるというのです。如来のお誓いはわたしの意志に関係なく働くから、そのことを自然というのです。

 次いで、法爾について。法爾というは如来のお誓いのことだから、自ずから働くので法爾といいます。法爾は如来のお誓いだから、わたしの意志とはまったく関係なく働く。わたしの意志とはまったく関係がなく働くから、わたしの努力はなにもいらない。すでに法のお力が働いてくださっていて、わたしを救う働きを現してくださったので、わたしはもうなにもすることがない。だから、わたしはなにもしない。このゆえに「他力には義なきを義とす」(法然上人のお言葉)と教えていただいております。(全休訳)

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-12-05 06:29 | 御消息集のこころ | Comments(0)