仏智の心をうるゆえに

  一 人の身には、眼・耳・鼻・舌・身・意の六賊ありて、善心を奪う。
  これは諸行のことなり。念仏はしからず。
  仏智の心をうるゆえに、貪・瞋・痴の煩悩をば、仏の方より、刹那にけしたまうなり。
  故に、「貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」(散善義)と、いえり。
  『正信偈』には、「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」と、いえり。

  (蓮如上人御一代記聞書136条)

 蓮如上人はここで信心のお徳を述べている。自力の人は自分の心をよくして仏になろうとするから「六賊ありて、善心を奪う」と、心が汚れることを気にする。自分の心に執着するから自分の心に縛られる。自分の心に縛られて、自分の心が造る六道を引摺り回されて、ありとあらゆる苦しみを受ける。自力の人はこのことがわからない。

 「念仏はしからず」。他力は自分の心を捨てる。自分では捨てられない。信の一念に自分の心が見える。見えたことが自分の心を離れた証拠です。この信心獲得の体験の核心を蓮如上人は「仏智の心をうるゆえに、貪・瞋・痴の煩悩をば、仏の方より、刹那にけしたまうなり」と述べている。きっと、ご自身の信体験でもあったに違いない。

 「貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」とは仏心が花開いたことを現し、「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは智慧の光の中にいる信心の人の(闇きこと無き)心境を示している。仏に煩悩はないが、宿業の身には煩悩は生命力です。煩悩はなくならないが仏のお心の中にいるので煩悩に巻き込まれずにいられる。これが信心のお徳です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-10-19 06:27 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)