施入物の多少にしたがいて

(異義条々 その八)

  一 仏法のかたに、施入物の多少にしたがいて、
  大小仏になるべしということ。
  この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。

  (歎異抄・第18章)

 日本という国に「個の救済」としての仏教を切り開いたのは法然と親鸞でした。「施入物の多少にしたがいて」などというのは宗教儀式としての旧仏教でしょう。親鸞の信仰とはまったく関係がない。親鸞聖人の御一流にこんな人たちが混じっていた。唯円は本当に怒っている。

 以上、異義八箇条を読んでみました。唯円は「右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか」(後序)と総括しています。信心とはなにか。目に見えない仏のお心は心で感じることができる。仏と一対一の対話の関係ができる。それが信心です。


 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-10-15 19:26 | 歎異抄の読み方 | Comments(0)