辺地の往生をとぐるひと

(異義条々 その七)

  一 辺地の往生をとぐるひと、
  ついには地獄におつべしということ。
  この条、いずれの証文にみえそうろうぞや。
  学生だつるひとのなかに、
  いいいださるることにてそうろうなるこそ、
  あさましくそうらえ。

  (歎異抄・第17章)

 「辺地」とは国境の外れの地。都から遠く離れ、王様の威令すら届かない辺鄙な地。野蛮の地。そんな語感があります。浄土にも「辺地」があるというのでしょう。生涯、聴聞に励めども、心は素直ではなく、仏の声を聞こうともしない。仏の声が届かない辺鄙な田舎に住んでいても「ここも浄土の内」とばかり平気でいるのでしょう。これは喩えです。

 仏教といえば「死後」のことだとみな思っている。浄土も地獄と並べて死後の世界だと信じられている。そう信じている人のために「方便化土」が教えられている。しかし、信心とは現在に仏心をいただくことですから、浄土は現在に開ける。現在に開ける浄土を(化土に対して)「真実報土」というのでしょう。

 浄土とは仏のお心のことです。仏のお心と心が通じ合うことを仏のお心に生まれるという。大きなお心の中に摂取されて小さな心を見せていただく。このようなことを「往生」というのでしょう。死んで浄土に生まれるといっても証拠がない。生きているうちに経験するから疑いが晴れる。仏はわたしに仏を経験させて喜ばれる。仏が喜ばれるからわたしも嬉しい。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-10-14 22:20 | 歎異抄の読み方 | Comments(0)