煩悩に眼さえられて

  一六四、煩悩に眼さえられては、如来の光明も拝まれぬ。
  盲目の子は、親の家、親の側にいながらも、親を見ることが出来ぬ。
  親の顔は見ること出来ねども、親は常につき纏うている。

  (香樹院語録) 

 見えなくても"そこに"おられる。それをなんとお呼びしようと、われをみそなわす"お方"がわれに臨んで"そこに"在(ましま)す。目には見えない"お心"の中にわれらは住んでいる。気づかずにいるだけだ。目に見えるものは壊れるものである。永遠不変だから目に見えない。見えない"お心"がわれらを包んでいる。そこに仏、在(ましま)す。われは一人ではない。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-09-13 06:36 | 香樹院語録を読む | Comments(0)