他力には義なきを義とす

  それ、浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり。
  このことすでに天竺の論家・浄土の祖師のおおせられたることなり。

  まず、自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、
  余の仏号を称念し、余の善根を修行して、
  わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、
  身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、
  浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。

  また、他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、
  選択摂取したまえる第十八の念仏往生の本願を信楽するを、他力と申すなり。
  如来の御ちかいなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人のおおせごとにてありき。
  義ということは、はからうことばなり。
  行者のはからいは自力なれば、義というなり。
  他力は、本願を信楽して往生必定なるゆえに、さらに義なしとなり。

  しかれば、わがみのわるければいかでか如来むかえたまわんとおもうべからず。
  凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。
  また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。
  自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり。

  (親鸞聖人血脈文集・第一通)

 「他力には義なきを義とす」という法語は歎異抄・第十章や正像末和讃、御消息にもたびたび出てまいります。この手紙は建長七(1255)年、親鸞八十三歳のときのもので、年表には「笠間の念仏者の疑問に答え、自力他力について教示」とあります。親鸞が法然の教えとして大切にし、唯円が親鸞の言葉として歎異抄に記録した法語「他力には義なきを義とす」の解説が含まれ、自力他力についてもわかりやすく整理されています。一部抜粋して参考に供しようと思います。ぜひ、原典を当たってみてください。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-09-10 06:39 | 御消息集を読む | Comments(0)