心の番は出来ぬ

  二三三、越前の或る僧火難にあい、
  五尊の御像までやきまいらせて悲歎やる方なく、
  夜も寝られぬほどなりしが、
  日を経るに従いて何時しか其の心も失せ,
  寝覚めの床につらつら本堂再建のことを思えば、
  何処よりともなく名利の心も出で来て、
  我ながら淺ましさに堪えず、
  京都本願寺え詣して御影前に懺悔するに、
  最初は涙も流れて心底より悲しかりしが、
  度重なるに従いては又々常の心となる。
  僧いよいよ身の程の恐ろしさを感じ、
  遂に師に参じて右の次第を具陳せり。
  師の曰く。老僧、どうしても心の番が出来ぬからのう、
  それで五劫が間の御思案じゃぞや、と。
  僧感泣して退く。

  (香樹院語録)  
  

 六道輪廻は三世にわたる。これが現世の「六道輪廻」というのでしょう。この僧、老年に至ってようやく心が輪廻する様に気づいた。生涯、これを繰り返してきた心に気づかなかったが、これに気づいたが法のお育てである。自分の心を自分の心でコントロールすることはできない。なぜなら、心は因縁生起であるから自由無碍に動く。動くことが本性の心を管理することはできない。管理しようとすれば心が病にかかる。心は常に動くのだから「不動の仏心」につなぎ止めていただくことが必要である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-09-09 06:09 | 香樹院語録を読む | Comments(0)