信心の人は如来とひとし

  光明寺の和尚の『般舟讃』には、
  「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。
  居すというは、浄土に、信心の人のこころ、
  つねにいたりというこころなり。
  これは弥勒とおなじくということを申すなり。
  これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、
  信心の人は如来とひとしと申すこころなり。

  (御消息集・善性本・第五通)

 「六道」は人の心が造る。だから、六道を離れる「出離生死」とは(仏の心に摂取されて)人の心を離れることをいう。「浄土」は仏の心で出来ているので「仏の心に摂取される」ことを「往生」というのです。さとりの智慧のある人を「仏」というが、煩悩の身を持っているので「仏」から一段下がって「如来とひとし」という。正嘉元(1257)年、八十五歳の親鸞が弟子の性信に宛てた手紙の一部です。智慧の光が強いほど懺悔は深く深刻なので「あなたは如来とひとしいのだよ」と励ましてくださるような内容です。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-09-07 06:00 | 御消息集を読む | Comments(0)