禅僧弘海との問答(2)

  七六、予(禅僧弘海)問うて云はく、法話を聞くことと、
  自ら聖教を読んで我が耳に聞くと云うこととは、有難く承わりぬ。
  但、念仏するを聞くと申すは、我れ称えて我が声を聞く事に候や。
  師大喝して曰く、汝何事をか云う。
  我が称える念仏と云うもの何処にありや。
  称えさせる人なくして、罪悪の我が身何ぞ称うることを得ん。
  称えさせる人ありて称えさせ給う念仏なれば、
  抑もこの念仏は、何のために成就して、
  何のためにか称えさせ給うやと、心を砕きて思えば、
  即ちこれ常に称えるのが、常に聞くのなり、と。(以上、一部抜粋)

  (香樹院語録)

 どうすることが聞法か。禅僧弘海にはわからなかった。聴聞し念仏するだけで、一向に信心が開けないのは聞きようが間違っている。なにをどう聞くのか。禅僧弘海は愚かなまでに率直に師に詰め寄る。わかるまで聞くぞという迫力だ。香樹院師、大いに喜んだに違いない。

 「この念仏は、何のために成就して、何のためにか称えさせ給うやと、心を砕きて思え」、それが「聞法」ということだと教えた。ただ念仏を称えるのではなく、仏はなぜ、われに念仏を称えさせるのか。考えては称え、称えては考え、「聞思して遅慮するなかれ」の親鸞の言葉通り、念仏以外になにもなくなるまで考えに考える。「常に称えるのが、常に聞くのなり」。命がけになれば仏のお心が聞こえる。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


Commented by kk at 2017-08-26 21:44 x
生まれてきた理由がわからない、生きている意味がわからない、人生の目的がわからない。
お金持ち、モテる人、うらやましいけれど、目的を「達した」人には見えない。なにも終わっているようには見えない。
明日も稼ごうとするし、モテようとするだろうから。達するとはどういうことなのだろう。
答えは自分の頭からは出てこない。教えてくださる方は目の前におられる。
そんなことを思いました。
Commented by zenkyu3 at 2017-08-27 07:07
> kkさん
生まれてきた理由がわからなければなにをなすべき人生だったかがわからず死んでいかなくてはならない。なんとしてもその理由を聞き遂げたい。教えてくださるお方は目の前におられる。その通りだと思います。金や物、地位や名誉は生きるために必要だったが、死んで行く時の慰めにはならない。全休
by zenkyu3 | 2017-08-25 07:01 | 香樹院語録を読む | Comments(2)