頼ませて頼まれ給う仏

  二七八、頼め助けようとのたまうは、
  たのまぬ先に助かるように御成就の南無阿弥陀仏。
  爾れば頼んだら助かられようか、
  また助かるまいかの分別のある筈はない。
  たのめば早や助かるの勅命なり。

  またの仰せに曰く。
  我等の心はかわる心故、
  如来様がすがる南無の二字まで御成就也。
  如来の心で如来えすがる故、機法一体也。

  (香樹院語録)

 弱い心を強くしたいのが自力。生存競争を勝ち残っていくには強い自我(自負心)と他を排する激しい闘争心が必要だ。この心は六道を流転する心で涅槃(心からの安心)を開くことはできない。仏になるための仏心は生存競争を本能とする人の心からは出てこないからだ。絶対に不可能である。それゆえの五劫思惟のご苦労である。ないものはいただくしかないから(われらからすれば)他力という。仏から仏の心をいただくことを信心という。仏の心が仏になるのである。人の心は仏にはならない。

 では、どのように仏心をいただくか。「たのめば早や助かるの勅命なり」。すでに救いの道は十劫の昔に成就している。だから「自分の心」を頼みとして生きてきた生き方を捨てて「仏の心」を頼みとする。南無「自分の心」から南無「阿弥陀仏」へと転ずる。これを「回心」という。これが仏心をいただく救いであるが、「頼め助けよう」のお約束を信じることは強い自我(自負心)と他を排する激しい闘争心のわれらには誠に難信である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-08-14 06:12 | 香樹院語録を読む | Comments(0)