仏法は聴聞にきわまる

  二九、ある人の尋ねに。どうも薄紙隔てたようで御座ります。
  仰せに。そうじゃ。おれが身でもお前でも、薄紙どころじゃない、
  渋紙ほど厚い。それを破ってくだされるのが御化導じゃ程に。

  (香樹院語録)

 信心とは仏の心をいただく。とてもとても「薄紙隔てた」程度のことではない。その大変さがわからぬから「どうも薄紙隔てたようで御座ります」となる。すかさず「薄紙どころじゃない、渋紙ほど厚い」と香樹院師は注意する。この法語には「仏法は聴聞にきわまる」と題がついている。聴聞とは仏心をいただいた善知識のお姿から生きて働く仏心の脈動を直に感じさせていただく機会である。勉強の場ではない。勉強している限り「わかりそうでわからない」で終わる。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-08-12 06:47 | 香樹院語録を読む | Comments(0)