掛橋

  四九、「掛橋や、いのちをからむ蔦かづら」。
  芭蕉が夜のあけぬうちに宿を起ち、
  眠り眠り木曾の掛橋をとほりかかった時、
  ほのぼのと暁近うなったから、谷をのぞいて見たれば、
  やれやれ恐ろしや、千丈もある山の腰の掛橋であった。
  ようも躓かなんだとの意。
  今も其の如く後生大事の明るみが出て方角が知れ、
  後生知らずに今日まで暮したことを思うて見れば、
  まことに千丈の谷の上で、目が醒めたような心地じゃ。

   (香樹院語録)

 智慧を光に喩えるは「見えないものが見える」ようになるから光という。眼がよくて見えるのではなく光があるから見える。智慧の光はなにを見えるようにするかといえば「自分の心が見える」ようにしてくださる。なぜ仏はわれらに智慧を与えてくださるのか。「見えるとは離れること」だからです。心の思い通りにしたい貪欲と、思い通りにならない瞋恚にボロボロになっているが、「心のいう通りにしなくていい」と教えるために仏は智慧を回向してくださるのです。あなたを苦しめている“自分の心”から自由になる。これにまさる喜びはない。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-07-29 06:46 | 香樹院語録を読む | Comments(0)