念仏は無碍の一道なり

  念仏者は、無碍の一道なり。
  そのいわれいかんとならば、
  信心の行者には、天神地祇も敬伏し、
  魔界外道も障碍することなし。
  罪悪も業報も感ずることあたわず、
  諸善もおよぶことなきゆえに、
  無碍の一道なりと云々

  (歎異抄・第7章)

 「無碍」とは影響を受けない。自分の心の影響を受けない。「天神地祇」も「魔界外道」も自分の心の影です。だから、自分の心から、ありがたそうな心が起きてきても、あるいは反対に、恐ろしくも浅ましい思いが湧いてきても、どちらも相手にしないでいられる。これを「無碍」といいます。自分の心が見えることを「智慧」といいますが、見えるのは「離れている」から。離れて見ている。これが仏の目差しです。「道」とは悟り。仏の目差しをいただいて自分の心の影響を受けずに暮らす心の生活を「無碍の一道」といいます。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-07-13 06:36 | 歎異抄の領解 | Comments(0)