三種の慈悲

  一九一、慈悲に三種あり。
  小悲、中悲、大悲これ也。

  小悲と云うは凡夫の慈悲にして、
  親子、兄弟、六親眷属のものにはなさけをすれども、
  他人が如何ほど難儀しても救いやる心なき故、
  これを衆生縁の慈悲と云う。

  中悲と云うは、声聞、縁覚、菩薩の三乗の慈悲なり。
  これは我れに法の因縁あるものには慈悲をなせども、
  一切衆生のためになし給わぬ故、
  これを法縁の慈悲と云う。

  大悲と云うは仏の慈悲なり。
  怨、親、中の三を離れて一切衆生に慈悲を施し給う。

  (香樹院語録) 


 竹内先生から一番最初に教えていただいたのは「仏とは智慧を与えて救うという救いの働きです」という仏の定義でした。救うのは仏、われらは救われるだけの身です。だから、親鸞は「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ」(正像末和讃)とはっきり教えてくださっています。では、なにから「救われる」かといえば「自分の心」から救われる。どんな状態を「救われる」というのかというと、自分の心を離れて、自分の心の影響を受けない。これを「救われる」という。

 救われなくては救われるということがどういうことかはわからない。つまり、救わんとした仏のお心がわからない。「仏とは智慧を与えて救うという救いの働きです」から、仏は自分の心が見えるように智慧を回向してくださいます。だから、自分の心が見えたら、それが仏に救っていただいたということです。われらはどこまでも「救われる身」であって、決して「救う身」ではない。これを親鸞は「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ」(正像末和讃)とはっきり教えてくださったのです。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」 


by zenkyu3 | 2017-07-12 06:31 | 香樹院語録を読む | Comments(0)