一一四、学と云うは、
  我が身にその業の出来ることを、学と云う也。
  然るに、道を学び道を行うを学と思わずして、
  道の道理を究め、徒らに是非を争うを学と思う。
  ここが孔子の教ゆる、実の学と云う所にあらず。
  よりて学と云うは、之を師に聞くの初めより、
  其の教を受けとりてこれを身に行うて学ぶを、
  学とすと知るべし。

  (香樹院語録)

 哲学と信仰は違う。哲学は知識、信仰は経験。知識は金のように所有して自分を誇る。頭がいいと自分を誇りたい人は知識のために法を学ぶ。新しい知識を喜ぶばかりで仏を経験したいとは思わない。救われないという心の渇きがないからだ。学ぶうち、それらしい説明ができるようになると、それが信心だと錯覚する。旅行のパンフを読んだことと旅行したことはまったく別物だが、読んだことが経験したことのように思い込む。そんな人はたくさんいる。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-26 06:25 | 香樹院語録を読む | Comments(0)