心を師とせざれ

  九八、後生も知らず、地獄極楽も疑うて居る者が、
  我が心にだまされて居るのではない。
  後生を願えば願うにつけて、何処までも我が心にだまされて、
  法を聴聞すれば、早や我れよきものになり、
  少し善事をすれば、己れなればこそと思い、
  少し報謝を勤むれば、先づこれでよいと腰をすえる。
  これは皆な夢みるのじゃ。
  少しの隙にも慢心が出て、我れと我が身をだますのじゃ。

  (香樹院語録)

 この法語には「『涅槃経』に曰く「心を師とせざれ」と」と題がついている 。わたしたちは自分の心の下僕と成り果てているから、心が望み心が喜ぶことならなんでもしようと思っている。生まれたときから心にこきつかわれて、心のためにありとあらゆる悪業を為すが、それになんの疑問も持ったことがない。これを「我が心にだまされて居る」という。騙されていることに気づけば「わが心」から自由になる。わが心の下僕だった者がわが心の主(あるじ)になる。これが仏法の端的です。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-16 08:46 | 香樹院語録を読む | Comments(0)