地獄きらいの地獄ずき

  一三一、地獄きらいの地獄ずき、
  極楽ずきの極楽ぎらいと云うことあり。
  極楽は好めども、参る心なくば其の実極楽ぎらい也。
  地獄は嫌えども、毎日地獄え堕つる業を作って居るが、
  即ち地獄ずきなり。
  是が極楽に生ぜずに、嫌いな地獄え堕つるなり。

  (香樹院語録)

 われらは常に現在に立つ。心の表層の意識としては常に現在しか知らないが、現在は現在だけで成り立っているのではない。現在はただの偶然ではなく、現在は過去の結果としての現在であり、未来の原因としての現在である。心の深層には過去の業が蓄積されていて、無明という形でわれらの現在を支配している。
 
 われらは現在を知っているように錯覚しているが針の穴から覗く程度の現在である。しかも、なにをしているかといえば、愛欲と名利に縛られ愛欲と名利を喜ぶしか知らない一生である。現在を見れば過去の業がわかる。また現在の業が未来を開くのである。現在を見れば未来がわかる。いまやっていることが未来である。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-06-03 06:31 | 香樹院語録を読む | Comments(0)