人生の意義

  一五八、命は法の宝とは、
  かねてお聞かせに預って居たれども、
  今日までさほどに思わなんだ。
  いま命の危さをお聞かせに預ってみれば、
  まことに一日一日が大事の命じゃ。

  (香樹院語録)

 世間でいう「一日一日を大切に」とは汚い生への執着である。信心とは一度は心が死ぬのである。死んで新しい心で生き返るから「今日までさほどに思わなんだ」というのである。新しい人生になるのである。どんな人生か。すなわち、仏のお心の中で仏になる修行をさせていただくから「一日一日が大事の命じゃ」となる。「一度っきりの人生だから大切にしましょう」などという欲ぼけた話ではない。ちなみに、弟子の香山院師が釈をつけている。「私に曰く。其の大事の命を今日もまた一日くらしたが、若し法を聞くまいならば宝ではない。かえって罪を造るばかりじゃ」と。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


  ※2016-11-15より通算172回


Commented by minao0306 at 2017-05-31 19:50
定年まであと3年を切りました。人生には何か深い意味があってきっと転機が訪れるに違いない、そう思ってこれはと思うところに足を運びましたが、とうとう見つかりませでした。それどころか仕事での人間関係に疲れ、体調を崩して休職まで追い込まれる始末。なぜ、自分だけこんな目に合わなければならないと嘆いていた時、1年ぶりに全休さんのブログを拝見しました。全休さんに自分の思い通りにならない現象が仏さまですとコメントをいただいて、ハッとしました。思い通りにしようと生きてきた傲慢な人生が思い出されて、方向が間違っていたと思ったのです。全ての現象は私が眺める姿ではなく、仏のお心の姿だった。妄念、妄想は南無阿弥陀仏と称えて仏さまの智恵で和らげてもらう。頑張って自分で何とかしようと思わない、仏さまが何とかしてくれる。明るい未来の道が拓けたようにも思います。これからもブログ聞法で学ばせていただきます。
Commented by zenkyu3 at 2017-05-31 22:19
> minao0306さん
いつ死んでもおかしくない歳ですね。これからは楽しいことなどないでしょう。あとは捨てるばかりの人生です。全休
Commented by minao0306 at 2017-06-01 19:48
若い頃に比べてこの世の未練は少なくなりました。捨てるばかりの人生ですね。「娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土にはまいるべきなり」です。
Commented by minao0306 at 2017-06-02 15:51
生活の中で時々念仏を称えています。未来にさしたる希望はありません。ただ頭の中のああでもないこうでもないという負のつぶやきが少し和らぐようです。いつ死んでもおかしくない年齢になって、時々「何の為に生きていたのだろう」と思います。そして自分の子どもたちもこの問いの答えがわからないまま死んでいくのかと思うとせつない気持ちになります。
Commented by zenkyu3 at 2017-06-02 17:31
> minao0306さん
「娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土にはまいるべきなり」という言葉には、いまはすべてのことが解決して、いつ死んでも尊い人生であったと満足して死んでいける。親鸞のそんな心境が伝わってきてしみじみしますね。「何の為に生きていたのだろう」。みんなこの心を隠して死んで行くのではないでしょうか。そうじゃないかもしれません。決めつけることはありませんが、もし、そんな問いが残っていたら成仏できないことでしょう。もし、仏教徒なら、取り返しがつかないとはこのことです。全休
by zenkyu3 | 2017-05-31 06:52 | 香樹院語録を読む | Comments(5)