我が心が我が心と中あしくて

  一五一、家内が和合をするには、先づ我が心が我が心と和合せねばならぬ。
  しかるに、我が心が我が心と中あしくて、
  人に物をやろうとすれば否とおもう、堪忍しようとすれば否とおもう、
  人に負けておこうとすれば否とおもう、右え行こうとすれば左のことを思う。
  かかる心と心とを和ぐるは、我が知恵分別では行きかねる。
  それは如来様の御心にて和げ給う。
  いろいろさまざま道に背ける事をなさんとすれども、
  如来様の御慈悲を思うて今宵も知れぬ命とおもい、
  是れは恥かしやとおもうて心の中で打ち消してもらう故、
  出す手も引き込む心になる。
  何事に就いても、かように心と心とが和合せねば家内が和合する道理はない。

  (香樹院語録)   

 前回の法語「善悪は我が心上の影なり」は外なる事実を受け入れないという話でした。今回の話は内側の話です。わが心の事実を受け入れない、わが心を分別するという話です。わが心を分別しないことを「無分別智」といいます。頭の中に湧いてくる思いは放って置くと自然と消えてなくなる。これを知るだけが悟りです。

 文中の「かかる心と心とを和ぐるは、我が知恵分別では行きかねる。それは如来様の御心にて和げ給う」とは、頭の中の思いに手を突っ込んで掻き回すようなことはするなということです。「是れは恥かしやとおもうて心の中で打ち消してもらう」のが智慧の働きで、騒々しい思いが消えてなくなるので「涅槃」といいます。この話は仏法の核心中の核心です。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-30 06:46 | 香樹院語録を読む | Comments(0)