これ仏法の盗人なり

  二、法話を聞く僧に盗人あり、また俗にも盗人あり、
  其の故は、高座の傍に居ながら、
  信心の方をおしのけて、面白き言葉あれば、
  我が身法談の得分にしようとかかる。是れ盗人なり。
  俗人は初に諸人をだまし、次に僧をだまし、次に仏をだます。
  その故は、仏法者らしき顔して参詣し、
  諸人にほめられようと思うは、是れ諸人をだます也。
  僧の前に出で、口に綺麗に云いならべるは、僧をだます也。
  しかしてその心中は、みな仏をだまして居る也。
  これ仏法の盗人なり。

  (香樹院語録)

 この法語には「表裏の不相応」と題がある。自分一人の救いのための信仰であるはずなのに、一方に「我が身法談の得分にしよう」と法を聞く僧があるかと思えば、一方には「諸人にほめられよう」とばかり参詣する門徒がいる。いずれも仏法を"世渡り"にしている。香樹院師は「盗人」と厳しい。竹内先生はよく「親鸞には嘘がない」と言われた。親鸞に嘘がないのは仏をお相手として生きているからです。

 人を相手に生きるためには嘘をつかなければならない。ましてや人に心の中を見せるのは愚かなことです。しかし、仏と二人だけのところでは嘘はいらない。「こんなお粗末な者です」と心の隅々までさらけ出してなんの心配もない。そんなことは仏はとうにお見通しですが、わたしたちが自分から心を開いて見せるのを待っておられるのです。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-23 06:18 | 香樹院語録を読む | Comments(0)