信ぜずとも

  五、尾張神尾のおこう、
  私は聞いても聞いても聞こえませぬから、
  まづ暫く帰って参ります、と申し上げたれば、
  行くなら行け、仏法が旱魃するぞ。 と仰せあり。
  女、空恐ろしくなりて自然と帰る心も止まりぬ。
  其の後、同女に対せられて、
  後生大事となり、骨折って聞くなら、
  信ぜずに死んでも、如来さまは、
  一度は生死を離れさせて下さるる程に。
  との仰せなりき。

  (香樹院語録 ) 

 信心がわかろうとわかるまいと仏のお心の中である。空気ということを知っていようが知るまいが空気を吸って生きている事実に変わりはない。信心は如来回向であるから、信心がこの身に成就するかしないかはわたしのはからいではない。わたしが努力するように思うが、努力するのも仏のはからいである。得られるなら努力するが得られないなら努力しない。そんなことではない。やむにやまれず聞くのである。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-05-21 06:37 | 香樹院語録を読む | Comments(0)