摂取不捨を体験する

  ①弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
  ②往生をばとぐるなりと信じて
  ③念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
  ④すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

  (歎異抄・第1章)

 仏教は涅槃の境地に入ることを目的に修行する。涅槃とは煩悩がない。煩悩のない静かで平和な心の状態を涅槃という。仏のさとりの境地です。さとりの境地を「浄土」といい、煩悩をもったままさとりの境地に生まれさせようというのが「弥陀の誓願」です。煩悩をもったまま涅槃の境地に入るので「不思議」です。

 歎異抄第一章では「摂取不捨」という言葉を使っていますが、涅槃の境地に生まれることを「摂取不捨」といいます。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」ということです。弥陀の本願、すなわち「摂取不捨」を体験することが「往生」です。第一章の冒頭の文に番号をつけましたが、①②③④は時系列に並んでいるようですが、「たすけられ」(教)るのも「念仏もうす」(行)のも「信じる」(信)のも「あずけしめたまう」(証)のも経験的にはすべて同時です。

 とくに大切なのは「往生をばとぐるなりと信じて」で、信じたのはすでに往生したからです。涅槃の境地が浄土、涅槃の境地に生まれるから往生です。すでに往生したから、涅槃の一分を経験したから必ず無上涅槃に達すると確信するのです。この経験を「摂取不捨」といいます。十八願の成就、信の一念に涅槃(仏)を経験する。仏教の結論を冒頭に示したのです。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-04-06 21:55 | 歎異抄の領解 | Comments(0)