骨折って聞くべし

  二二、得た得たと思うは得ぬのなり。
  得ぬ得ぬと思うはなお得ぬのなり。
  そんなことではない、と仰せられたり。

  一〇、頼めとあるも、すがれとあるも、
  称えよ称えよとあるも、皆助くる助くるの仰せなり。
  天が地となり、地が天となる例があるとも、
  間違わさぬ、疑うなよ疑うなよと、
  阿弥陀様の直の仰せと聞こえるまで、骨折って聞くべし。

  (香樹院語録)

 「得た」と思って満足するは「自分の心」でしょう。「得た」というのは「悟った」というのでしょう。「信心を得た」というのでしょう。結局は「自分の心」を出ていないと、香樹院師は言っているのです。仏法は「出離生死」といって「自分の心」を出ること、この一点しかない。出たか出ないか、これ以外にない。わかりやすい話だが、こんな難しいこともない。「骨折って聞くべし」。真面目に聴聞している人はこれに一生を懸けている。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-02-15 19:00 | 念仏のすすめ | Comments(0)