仏の心で仏になる

e0361146_08452904.jpg  一一六、或人の尋ねに、
  どうも此度は仕おおせらるるように思われませぬ、
  と申し上げたれば。
  仕おおせられまいとおもうは凡夫の心。
  仕おおせさせるとあるが如来さまの御こころ。
  その御心をもらうのじゃ。
  仏の心で仏になるに、何の間違いがあろうぞ。
  それでよく聞けよく聞けと云うのじゃ、と仰せられたり。

  (香樹院語録) 

 信心の「信」は「真」に通じて真(まこと)の心、真(まこと)の心とは仏のお心、仏のお心がわたしの内面に回入して、わたしの主体となってくださった、このことを信心(仏のお心)をいただくといいます。「凡夫の心」が「如来さまの御こころ」に転じたのです。「仕おおせさせるとあるが如来さまの御こころ。その御心をもらうのじゃ」とはそのことです。一切衆生悉有仏性、わたしの心の奥底に眠っていた不生不滅の仏心がわたしに届き、わたしの内面世界を明るく開いて下さったから、「仏の心で仏になるに、何の間違いがあろうぞ」。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-02-12 08:37 | 真宗の眼目 | Comments(0)