「転ず」ということ

  弥陀智願の広海に
  凡夫善悪の心水も
  帰入しぬればすなわちに
  大悲心とぞ転ずなる

  (正像末和讃)

  本願力にあいぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし

  (高僧和讃)

 親鸞は「転ず」に「悪の心、善となるを転ずるなりといふなり」と左訓している。「悪の心」とは凡夫の心であり「善」は仏のお心です。信心をいただくとは「凡夫善悪の心水」が「大悲心とぞ転ずなる」、凡夫の心が仏のお心に転換することだというのです。心が煩悩から悟りへと転換した。煩悩はそのままだが、煩悩は内面ではなく外面になった。仏心がわたしの主体となって下さった。「本願力にあいぬれば」「功徳の宝海みちみちて」とは信心をいただいた行者の"内面の事実"をありありと表現している。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2017-02-11 08:32 | 真宗の眼目 | Comments(0)