心に病む所あり

  一七九、越後塔の浜の一女、心に病む所あり。
  京に上りて師に謁し、この後生どうしようどうしようと、涙ながらに尋ね申せしに、
  師はただ、鶴の脚は長いなり、鴨の足は短いなり、その儘の御助けじゃ。
  との御一言にて、つと座を起ち退き給えり。
  女本意なく思いながら是非なく帰路につき、終日終夜、右の御言葉を胸に繰りかえせしが、
  何時となく大悲の光にほのぼのと暗を離れ、
  ああこの御恩どうしようどうしようと云いながら家に着きぬ、と。

  (香樹院語録)    

 越後塔の浜の一女、心に病む所あり。さて、悩み悩みと騒ぐが、いま起きていることが気に入らない。そういうことでしょう。ちっちゃな心に大きな現実が収まらない。小に大は収まらない。当たり前だ。悩みといえば、さぁ大変だとなるが、たったこれだけのことだ。思い通りに行くと誰が言った。自分の心は悪くなくて現実が悪いと愚図り通す。人が悪い世間が悪い。これは救いようのないひがみ根性だ。

 そのことがわからない。現実はわれらの好き嫌いに関係なく起きている。鶴の脚は長いなり、鴨の足は短いなり。長いは長いなり。短いは短いなり。愚痴を言えば切りがない。諸行無常、有為転変に定めはない。なにか偉そうにしているが、われらは明日死んでも文句のいえない身の上じゃないか。香樹院師はどう言ったか。どんな身の上であろうと、そのままで救われてこい、と。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-02-01 06:45 | 香樹院語録を読む | Comments(0)