全く如来の大悲の御力なり

  二八九、如何なる大悲の恵みで、
  私のようなものが聞く気になり願う心になったやらと思えば、
  よく思えば願いそうな聞きそうな心でもなきものが、
  かく聞く気になり願う心になったのは、全く如来の大悲の御力なり。
  日輪に如何なる御徳があるかは知らねども、安穏にして暮すはみな日の力なり。
  一切草木の葉一枚まで、みな日の力によらぬものなし。
  光明名号の御慈悲で御助けと信ぜられたは、
  我が胸より出でしにあらず、全く光明名号の力なり。

  (香樹院語録)  

 歎異抄の後序にある親鸞聖人のご述懐、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と同じ味わいです。この法語には「仏を思う心は、我を思う仏の心の届かせられたる也 」という題がついています。書き出して何度も何度も味わいたい。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」



by zenkyu3 | 2017-01-30 06:36 | 香樹院語録を読む | Comments(0)