それじゃで他力じゃないか

  一四〇、京都岡崎御坊にて御法話の後、江州西乗寺の住侶、
  重ね重ね聴聞申して帰国せんとしたるも、何となく後髪引かるる心地してければ、
  草鞋を穿ちたるままお庭え回り、お座敷の椽下に跪きて云うよう、
  恐れながらお尋ね申します、私はかように年をとりましても、
  実に実に哀れな心中でござりまするが、死ぬまでこんなものでござりますかと。
  その時師は御酒を召しながら、それじゃで他力じゃないか。 と仰せられければ、
  老僧涙を流し、小躍りしながら帰途につきぬ。

  (香樹院語録)


 「私はかように年をとりましても、実に実に哀れな心中でござりまするが、死ぬまでこんなものでござりますか」とは懺悔である。懺悔は仏の心に映った我のありのままの姿である。仏のお心の中にあればこその懺悔であり、この老僧、仏のお心の中と気づかなかった。それを知っていればこそ、香樹院師は一言、「それじゃで他力じゃないか」と。「老僧涙を流し、小躍りしながら帰途につきぬ」。信が開けた一瞬です。

 南無阿弥陀仏

 柏原祐義・禿義峯編「香樹院語録」


by zenkyu3 | 2017-01-22 19:47 | 香樹院語録を読む | Comments(0)