愚者になりて往生す

  よしあしの文字をもしらぬひとはみな
  まことのこころなりけるを
  善悪の字しりがおは
  おおそらごとのかたちなり

  (正像末和讃)

  故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候いしことを、
  たしかにうけたまわり候いしうえに、
  ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、
  往生必定すべしとてえ(笑)ませたまいしをみまいらせ候いき。

  (末燈鈔)


 われらは生まれた時にすでに与えられた過去を持って生まれてくる。選ぶことはできない。過去の延長に現在があるが、不思議といって、なぜ、現在の境遇が与えられているのかはわからないようになっている。ただ現在という事実に投げ出されて生きているだけだ。すべては宿業である。与えられてくる境遇はわれらの力ではなんともできないもので、なんとかなったように思うこともあるが、なんとかなるようになっていただけのことだ。ほとんどのことはなんともならない。そもそも思い通りにならないならないと騒ぐのは思い通りにしたい善悪の思いだけであり、騒ぎたてる思い以外はなにも問題がない。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2016-12-28 12:31 | 真宗の眼目 | Comments(0)