念仏の歴史

  教えというものは、やはり目覚めた人を通して、この世の中に生きてくる。
  そうして、目覚めた人があって、
  その目覚めた方が「自分はこうやって目覚めた」とおっしゃることによって、
  我々も、自分自身の身の事実を知らされ、
  そして「真実はなにか」ということに目覚めていくことができるんだ。

  (竹内維茂著「称名念仏の大悲」より)


 わたしは善知識となれる方を探していた。やがて、遇うべくして竹内先生にお遇いした。念仏は現代にも脈々と生きており、本の中だけでしか知らなかった念仏だが、生きた仏として先生が目の前で説法されていた。自然と手が合わさる。わたしにとって竹内先生は生きてそこにおられる仏だった。一方で、最近、とくにそう思うようになったが、竹内先生もまた、わたしを待っていただろうと。先生はすぐにわたしに気づいた。気づくだろか、いつ気づくだろかと思っていたが、すぐに気づいてくださった。初めて先生のご自宅を訪ねたのは三十六になったばかりの十月だった。

 南無阿弥陀仏


by zenkyu3 | 2016-12-26 08:32 | 念仏のすすめ | Comments(0)