人に負けて信を取れ

  総別、人にはおとるまじき、と思う心あり。
  此の心にて、世間には、物もしならうなり。
  仏法には、無我にて候ううえには、
  人にまけて信をとるべきなり。
  理をまげて情をおるこそ、仏の御慈悲なり。

  (蓮如上人御一代記聞書160条)

  勝つとは有限なもの。
  負けるという世界は広大無辺の――
  仏の智慧海は負けるというところにあり、
  その深さも広さも無限のものである。
  『蓮如上人御一代記聞書』には
  「人に負けて信を取れ」と言われてますね。

  (曽我量深著「親鸞との対話」より)


 「負ける」とは「受け入れる」ということです。人に負けて人を受け入れる。事実に負けて事実を受け入れる。境遇に負けて境遇を受け入れる。運命に負けて運命を受け入れる。受け入れられないことに負けて受け入れられないことを受け入れる。みな、負けられずに苦しんでいる。負ければ楽になる。しかし、負ける言い訳を探しているがなかなか見つけられない。とくに自分に負けられない。

 また、「無我」とは「わたしがない」ということです。「わたし」があるから受け入れられない人がいる。「わたし」があるから受け入れられない事実がある。「わたし」がなければすべてが受け入れられる。「無我」は大きさがないからすべてを受け入れる。すべてを受け入れるから「仏」という。また、「理」とは知性。「情」とは執着。知性の小ささを教え、執着の醜さを教えるから「仏の御慈悲なり」と。

 南無阿弥陀仏


Commented by けんけん at 2016-12-19 20:05 x
「わたし」はいつも仏に逆らい続けているのでしょうね 人は自分の中に仏を見いだしていく事もできるけど、仏を忘れれば、どこまででも落ちていく存在な気がします。 
Commented by zenkyu3 at 2016-12-19 21:39
> けんけんさん
どんなに逆らっても最後は負ける。負けるのだけれど、負けるにも機が熟すということがある。もうダメだ。助けてください、と頭が下がったときに、ようやく念仏が出る。仏は「わたし」がない、無我だから、わたしたちのような者でも見捨てない。全休
by zenkyu3 | 2016-12-18 06:54 | 曽我量深師の言葉 | Comments(2)