歎異抄・第八章の読み方

  一 念仏は行者のために、非行非善なり。
  わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。
  わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。
  ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、
  行者のためには非行非善なりと云々

  (歎異抄・第8章)

 「わがはからいにて」とは「自分の意志で」ということです。だから「他力」とは自分の意志ではないということです。自分の意志に関係なく、この身に働く「他力」というものがある。自分の意志に関係なく働くから「自然」ともいう。第八章は、自分の意志とは関係なく働く「他力」というものがある、と教えている。頭で考えても「他力」はわからない。経験すれば、一瞬に疑いが晴れる。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-18 06:30 | 歎異抄の読み方 | Comments(0)

  一 仏法には、万事、かなしきにも、かなわぬにつけても、
  何事に付けても、後生のたすかるべきことを思えよ。
  よろこびたきは、仏恩なりと云々

  (蓮如上人御一代記聞書300条)

 われらは受け入れられない事実に苦しむ。「かなしきにも、かなわぬにつけても」「何事に付けても」ありのままを受け入れて、なんの疑いもなければ「なぜ」の苦しみはないが、不都合な事実はなかなか受け入れられない。「前向き」な理由を見つけて受け入れようと努力するが、いつもいつも都合よく理由が見つかるわけではない。

 生老病死を「四苦」という。思い通りにならない事実を拒否して自ら苦しむから「苦」という。あなたは思い通りにしたい「我」を捨てられない。回りの人もあなた同様、思い通りにしたい「我」を捨てられない。あなたは自分の「我」に苦しみ、回りの「我」との闘争をやめられない。自分を諦め、人生を諦め、人の世を諦めるを「後生のたすかる」というが、あなたはきっと死んでも諦めない。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-17 06:03 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)

  一 万事に付けて、よき事を思い付けるは、御恩なり。
  悪事だに思い付きたるは、御恩なり。
  捨つるも取るも、何れも、何れも、御恩なりと云々

  (蓮如上人御一代記聞書298条)

 親鸞は「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(歎異抄・後序)と仰いました。煩悩具足の凡夫に善悪の本当の区別はつかないものであるとの独白です。つかないのにあれこれと善悪を区別しては好き嫌いをいう。好き嫌いを言っては自ら苦しんでいる。凡夫のわれらにはなにもわからないのであるから、すべてを仏さまの御はからいに任せて、なんの疑いもない。それを「何れも、何れも、御恩なり」というのでしょう。

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-16 14:26 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)

ブログ一年の節目に

  一 法敬坊、申され候う。
  「仏法をかたるに、志の人を前におきて語り候えば、
  力がありて、申しよき」由、申され候う。

  (蓮如上人御一代記聞書282条)

 「仏からの道」が満一年となりました。読んでくださっているみなさんの「力がありて」ブログ更新ができております。今年は真宗大谷派・念佛寺さんのホームページを拝見する機会がありました。ホームページ所収の「香樹院語録」を引用させていただきながら、一月から九月まで、計161回「香樹院語録」を読ませていただきました。時期がまいりまして、今は「蓮如上人御一代記聞書」を読んでおります。

 日々、お聖教をいただきながら、気づいたことを書いているだけのブログですが、ここがわたしの「聴聞の場」といってもよいかも知れません。コメントやお便り、あるいは記事ごとのアクセス数などから、みなさんにどのように読んでいただいているかを考えるのも楽しいことです。旧ブログ「聞其名号信心歓喜乃至一念」は今もこのブログと同じくらいのアクセス数がありますので、そのままにしております。全休

 南無阿弥陀仏


# by zenkyu3 | 2017-11-15 22:02 | このブログのこと | Comments(0)

  一 法敬坊、九十まで存命そうろう。
  「このとしまで聴聞もうしそうらえども、
  これまでと存知たることなし。
  あきたりもなきことなり」と、もうされそうろう。

  (蓮如上人御一代記聞書47条)

 智慧の働きは永遠の命である。自分の意志とは関係なく働く。ゆえに、仏が聞かせてくださる聴聞である。命は常に新しい。心境が常に新しく開発(かいほつ)されてくるから飽きるなどということはない。もとより「不思議の仏智」である。人智で届くはずもないのに、わかった気がしたり、飽きたりするのは、頭で考えた信心だからである。お育てに感謝し、お徳を仰ぐばかりである。


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# by zenkyu3 | 2017-11-14 06:38 | 蓮如上人御一代記聞書を読む | Comments(0)